1987年、大阪堺市、泉北高速鉄道の深井駅、ほっかほっか亭とドムドムハンバーガーの構図

2024年3月7日木曜日

昭和 平成 食べる

2021年4月12日初公開
2024年3月7日加筆修正

久しぶりに、「ほっともっと」のハンバーグ弁当 税込590円(2021年4月)を食べた。肝心カナメのハンバーグは、マルシンハンバーグ以上、伊藤ハムの「旨包ボリュームリッチハンバーグ」未満といったところ。


しかし、わたしは、非グルメ系食いしん坊。ひとめでハンバーグだとわかり、口にしてハンバーグの味がすれば、満足だ。上にかかってるデミグラスソースが好きだ。

生涯でいちばん頻繁に「ほっともっと」ならぬ「ほか弁」を食べた時期は、1987年、昭和から平成に変わる2年前の年だった。

どうしてピンポイント的に記憶しているかというと、1987年(昭和62年)は夜間の専門学校に通っていて昼間はアルバイトをしていた。

アルバイト先のお店は、昼の休憩が30分だった。大阪府堺市、堺東駅から乗り換え不要の南海高野線→泉北高速鉄道に乗り、約10分で深井駅に到着、

出口を出てすぐの場所にあった「ほっかほっか亭」で唐揚げ弁当を買い、アルバイト先に行くのが習慣だった。

弁当は、唐揚げと白いご飯、別々に白のパックに詰めてあった。ゴツゴツした唐揚げを詰めこんでるせいで、パックの蓋が盛り上がり、それを、ご飯のパックと一緒に押さえつけ、赤と黄色のロゴ入り包装紙を巻き付け、輪ゴムで止めてある。

朝買ったものを、昼過ぎに食べるわけだから当然冷えていた。でも、小袋のしょうゆをかけ、ご飯と一緒に頬張ったら、お口は唐揚げ天国である。

「ほっかほっか亭」と「ほっともっと」のホームページを見ると、当時の記憶に近いのは「ほっともっと」の唐揚げ弁当だ。唐揚げ4個、ミニポテトサラダ、漬物、とご飯で、税込490円(2024年3月現在)とある。
「ほっともっと」と「ほっかほっか亭」は元々同じ経営だった。「ほっかほっか亭」として昭和51、1976年に埼玉県に第一号店が誕生した。

その後、経営会社の分裂と対立など、紆余曲折を経て、今では「ほっかほっか亭」と「ほっともっと」別々の会社になり、それぞれの道を歩んでいる。


両者の複雑な経由はともかく、作りたての、文字通りホッカホッカの弁当が、昭和50年代以降、どこでも買えるようになった。

かつてお弁当といえば、駅弁も含め冷たいのが当たり前だった。最近は、お弁当チェーン店以外の多くのスーパーや惣菜店で、調理したてのものが並んでいる。

その場でおかずとご飯を詰めて売るという発想は、日常に根ざした昭和の素敵な発明だ。

大阪堺市、泉北高速鉄道の深井駅の「ほっかほっか亭」ときて、次に思い出すのは「ドムドムハンバーガー」だ。驚いたことに、こちらは、2024年3月現在も深井駅構内にある。

検索したら、生まれも育ちも大阪堺市の「あかね」と言う方が運営しているブログ「もずなび」に詳しい経由と現在の様子が、画像付きで載っていた。


このブログによると、深井駅のドムドムハンバーガーは、駅内ショッピングセンターの「深井プラザ」が出来た1982年当初からある。画像を見る限り、1987年バイト帰りに通っていたイメージのままだ。

ドムドムハンバーガーは、日本初のハンバーガーショップとして、1970年、ダイエー創業者の中内功氏によって設立された。

日本マクドナルドが東京銀座に第1号店をオープンする前の年だ。中内 功氏は、当初、アメリカマクドナルドと提携交渉をしていた。

しかし同じ頃に、日本マクドナルド創業者の藤田 田氏が、アメリカ・マクドナルド社とのライセンス契約を締結し、日本マクドナルド社の立ち上げに成功する。

マクドナルドをダイエー傘下に取り込むことに失敗した中内 功氏は、一念発起して、ドムドムハンバーガーを立ち上げる、という因縁の歴史がある。

その後、ダイエーの中内氏は、ドムドムバーガーだけでは、日本マクドナルドに勝てそうもないと判断すると「アメリカウエンディーズ」を日本上陸させようと試みる。

その辺りの経由を、ドムドムハンバーガーが、事業継承やホテル不動産事業を営む「レンブラントホールディングス」の傘下になった2017年に、「東洋経済オンライン」が記事にしている。

すでによく知られている事実らしいが、ワタシは初耳、日本のハンバーガーの歴史として興味深く読んだ。



1970年代から80年代にかけて、小売業の王者と言われたダイエーの急成長、店舗数の拡大と
とともにドムドムハンバーガーは店舗数を増やし、最盛期には約400店舗あった。

しかし1989年のバブル崩壊前後あたりからのダイエーの経営不振と連動するように、ドムドムハンバーガーの店舗数も減っていく。

2017年レンブラントホールディングスの傘下となり、2024年3月現在、27店舗だ。

ダイエーグループと運命を共にしたドムドムバーガーも、レンブラントホールディングスに買収されてから息を吹き返している。

店舗数27店舗は、日本マクドナルド、2024年2月現在2974店舗、モスバーガー、2023年3月1770店舗、に比べると、規模は圧倒的に小さいが、

イカデビルバーガー、手作り厚焼きたまごハンバーガー、お好み焼きバーガーなど、日本の食卓に馴染み深い味と、奇抜さが両立したメニュー作りで、徐々に巷では話題になりつつある。


さらに、「niko and...」が企画した「BURGER in the 80’s~あの日のハンバーガー~」の一環で、ドムドムハンバーガーとコラボした「nikoDOM」ブランドのアイテムはインパクト大である。

80年代、すでに20代だったワタシが見ても、胸キュンものだった。


*2024年4月上旬まで「niko and...」の一部店舗で開催。


そういうワタシは、東京テレビの夜のニュース番組、ワールドビジネスサテライトで知り、早速、niko and...COFFEEの店舗に、実際に、行ってきたばかりである。

80年代の日本とハンバーガーをテーマにした関連のグッズがぎっしり陳列。商品のラインナップも、税込7700円のスエットから、1650円のマグカップ、1210円のハンカチなど、バラエティに富んでいる。



このシャツなど、しっかりとした造りとツボを押さえたデザイン、フツフツと物欲が湧いた。

その時の様子は、「散歩の達人」のウエブサイトに投稿した。




まとめると、1987年当時、ワタシは大阪の専門学校の夜間コースに通っていた。朝、バイト先がある、泉北高速鉄道の深井駅に行き、駅をでてすぐ横にあったほっかほっか亭で、お昼用の唐揚げ弁当を買う。

16時にバイトが終わると、深井駅構内のドムドムバーガーで、ハンバーガーセットなど食べてから、再び列車に乗り、夜間の専門学校に通う、というパターンを1年間続けていた。

1987年日本経済絶好調の頃、別の見方をすると、バブル崩壊の数年前、大阪堺市の泉北高速鉄道の深井駅構内に「ドムドムバーガー」と「ほっかほっか亭」があった。

現在、ほっかほっか亭とほっともっと、ふたつの別会社は、それぞれの道を歩んでいる。

その「ほっともっと」は、2024年現在、家の近所にある。

90年代の最盛期、約400店舗→27の店舗数に激減した「ドムドムハンバーガー」は、2017年レンブラントホールディングスの傘下に入り、

「バーガー界の絶滅危惧種」→昭和レトロのイメージを逆手に取り、各種コラボ、イベント、など積極的に、昭和から令和へと、過去を活かして未来に繋げ、攻めの経営が功を奏している。

なんだか、久しぶりに唐揚げ弁当→ドムドムハンバーガーセットを食べたくなった。もはや20代→60代、年寄りの冷や水以外の何モノでもありませんな。



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