スマホを替えた。iPhone6sからiPhone12。ホームボタンが消えてディスプレイがほぼ本体と同じ大きさになった。
カメラのレンズも2個になった、少しくらい暗くてもきれいに撮れる、背景もぼかせる。メタリックグリーンは今の気分に馴染み、ワクワクする。
一方で、スマホなしでは何もできなくなりつつあることに今更気がついた。
わたしは昭和世代。スマホとネット回線さえあれば、あえて持つ必要のないモノが多くあることに焦りも感じる。
焦りというのは、つまり、
今も持っているCanon EOS20D、2004年発売。デジタル一眼レフ、絞りとシャッタースピードの関係をやっと理解し、背景がようやくぼかせるようになった。
図書館で新刊本を予約しようとしたら、100人待ちだとわかり、すぐに読みたいから本屋でチラチラ1、2ページ読みつつ、買おうか買うまいか迷いに迷う、古本屋に行けばあるかも、運が良ければ数百円引きで買えるかも、とぐるぐる考えること。
旅先で地元の人に道を尋ねたら、連れてってあげると言われ、目的地までおしゃべりしつつ、握手をして別れること。
「ぴあ」をチェックしていたら、アラン•ドロン映画の上映館を見つけ、赤ボールペンで印をつけること。
次の週末に映画館の窓口に行くと夜の回しかないことがわかり、喫茶店、カフェで時間を潰そうと、
ウィンドウショッピングをしていたら、一目惚れしたコートを試着したらうっかり気に入ってしまい、手持ちのお金がなくてお取り置きし散財をすること。
こういう膨大な非効率な時間の蓄積が、現在の自分をカタチ作ってきたのに、いまはスマホとネット回線ひとつで、解決することが多すぎて楽だけどつまらない。インターネットなしで生きてきた時間と以降の生活とのバランスがとれない。
インターネットが隅々まで入りこんで10数年、効率、無料、有料、の狭間で、試行錯誤したわたし、この先、一体全体、どうやって生きていきたいの?と問うてみる。
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服を着ることは、今も昔も変わらない。ネットで注文しようが、実店舗で買おうが、1着の確かな手触りの服を着なくてはいけない。
食べることも同じだ。入手手段は変化しても、食べているという実感は、今も昔も変わらない。
と、ここまで考えたら気分が楽になった。あれ食べどれ着た、食べること、着ること、って変わらずここにあるものだった。それが嬉しい。