時間が空くと、なんだかんだと理由をつけていく街がある。神奈川県川崎市高津区にある溝の口である。
溝の口駅は、JR南武線、武蔵溝の口駅、東急田園都市線と東急大井町線が通っている。渋谷駅まで15分から20分程度の利便性抜群の街だ。
広島出身で上京して30年越えだけど、この街に行くと心底ホッとする。わたしがいた昭和50年代までの、広島市内八丁堀界隈や歓楽街である流川のイメージと重なる。
数年おきに広島に帰るけれどもう家はない。2011年に母、2020年に父が消えた。広島に行くときは、基本的にホテルを取る。
故郷を出てほとんど広島に帰らなかった時期もあったし、長い間広島から距離を置いていた。
そんな時代を経て、気が付いたら2023年の広島は懐かしさは感じるものの、どこか知らない街になった。
母の妹であるおばさん二人は健在だ。今では、彼女たちとその子供である従妹たちと過ごす瞬間、瞬間がとほうもなく貴重な時間に思える。
そういう意味では、広島は今も、わたしの人格を形づくってくれた両親のような地だ。なるほどお父さんとお母さんはどこかに消えたけれど、
その面影、笑顔、怒った顔、泣き顔、仕草、会話、食べ方は、広島という地を媒体にわたしの体に刻まれている。
溝の口は、そんなわたしのセンチメンタルをかきたてる街だ。溝の口の繁華街を闊歩している、自然体過ぎる、笑、人たちの振る舞い、仕草は、わたしの作り上げたイメージである広島人を思わせる。
そんな溝の口の街、紹介できるほど街を知っているわけじゃない。でも偶然ランチ時の行列に並んで、わたしのような大食いを満腹にしてくれるチェーンの唐揚げ専門店、カラヤマを見つけた。
肝心かなめの唐揚げは揚げたてでジューシーなのは言うまでもないが、ボリュームもたっぷりだ。
追加料金税込み33円で大盛りごはん、にすると、よくある普通盛りに毛が生えたショボい大盛ではなく、正真正銘のデカ盛りごはんがついてくる。イカの塩辛のツボが常備されて取り放題だった。
腹いっぱい唐揚げランチを食べたあとは、コーヒーでも飲んでまったりしたくなる。ひと通りのチェーン店はあるけれど、昨今の値上がりで
スタバのブレンドが350円~、サンマルク300円~、コメダ珈琲460円~、ドトール250円~といったところ。
ドケチのわたしが行くのは、イトーヨーカドーに入っているマックか、1階のパン屋脇に設置された紙カップ式の現金コーヒー自動販売機である。2023年の前半に行ったときは確か110円くらい?だった。
その紙コップコーヒーを持ってコーヒー販売機の延長線上に並んだイスに座る。壁際に簡易的に並べられたイスだけど、結構地元のお年寄りがコーヒー片手に憩っている。
お年寄りと言ったけど、このわたしも60越え、立派なお年寄り、周りを見習って紙コップのコーヒー片手に目の前を行き過ぎる人たちの会話や買い物袋を観察する。
よれたTシャツと短パン姿や、ズルっと長いユニクロの(同じの持ってるからわかる)プリーツスカートパンツ姿の人たちがダラダラと歩く様子をただただ眺める。
ガチガチに固まった緊張の糸がほぐれていく。溝の口は普段の自分を晒して歩く街。
コーヒー休憩の後、同じフロアにあるシャトレーゼに移動する。100円、200円代のばら売りお菓子がずらりと通路側に並んでいる。ここを素通りするのは意志の力がいる。
ちなみに、自由が丘にも同じシャトレーゼ系列のYATSUDOKIがある。シャトレーゼが普段着のお菓子だとすると、YATSUDOKIはよそゆきのお菓子。価格帯も当然違う。
*現在イトーヨーカドー溝の口店は8月22日の正午まで改装中。これらは改装前の情報。
参考:イトーヨーカドー溝の口店
都会に憧れ、洗練された人たちの仲間入りがしたいと夢見たけれど、ひとりひとりは東京を含めた故郷もあれば、お国言葉もある。一皮むくと泥臭い人間味が出てくる。
そういうカラクリが30数年たって身に染みたころ、わたしは、溝の口、高円寺、新宿、渋谷、雑多な街に惹かれるようになった。