アランドロンが今年の8月に亡くなってから、アランドロンの全作品を見てやろう、という以前からの願望が現実味を増した。
手はじめに、飯田橋の日仏学院でやっていた追悼上映、先週の日曜日、3本立て続けに鑑賞した。
「暗殺者のメロディ」「山猫」「パリの灯は遠く」である。
「山猫」はこれまでも何度となく見たが、毎回集中力が途切れて途中で離脱していた。
なのに、3時間25分の「山猫」を含めた、今まで見たことのない他の2本共々キチンとストーリーを追いつつ鑑賞できた。この喜びは大きかった。
大画面で最前列、アラン・ドロン世代の人達に左右前後に囲まれた環境によるものが大きかった、と思う。
ヴィスコンティの「山猫」は、単に没落貴族の嘆きを描いたものではなかった。特権階級としてのプライドをどう保つのか、老年にある自分へのあきらめと達観、時代が変化することへの深い洞察と知性、老年期の貴族と、若く生きるエネルギーに満ちた甥のアランドロン、その婚約者のクラウディア・カルディナーレ、映画的な対比の美学に溢れていた。
「山猫」を大スクリーンで観る機会を得て幸せだった。
すっかり「アランドロン欲」に取りつかれたワタシは、勢いに乗って、U-NEXTの1月無料お試しに登録した。
観てないか、ほとんど覚えていない映画が、20本くらいあり、「恋ひとすじに1958年」「若者のすべて1960年」「太陽はひとしぼっち1962年」と、時系列にアランドロン作品を追っている。
瑞々しくバタ臭いドロンの演技と若さに引き込まれる。この粗削りな卓越した美貌の俳優が、以降どう変貌していくのか、
どのようにして、多くのファンを魅了するまでの演技人、フランスを代表する俳優になりえたのか、作品を通して追っていくのが楽しみだ。
アランドロン全作品を堪能したのち、ワタシの中に何かしらの変化を期待している。だって、アランドロン全盛時代を知っているワタシにとって、人としてこう見られたい、という絶対的な基準なのだから。今もって代わる人がいないのだ。