音声入力+ChatGPTの共同作業。時間:1時間半
最近バレエシューズのことが頭から離れない。
バレエシューズは、素足で履くのが最も美しいと思う。
しかし、そうなると履ける期間はせいぜい1年のうち半分程度に限られる。
自分は幅広の足をしている。
これまで、かわいらしいバレエシューズを見かけては試しに買い、何度か履いてみたが、どうにもバランスが悪い。
足元がぽてっとして見え、全体のシルエットが頭でっかちになる。
そのため、どちらかといえば敬遠してきた。
ところが最近、無印良品のリボンバレエシューズに出会った。
その出会いが、自分の中で少し意識を変えた。
大柄な体に対して小さなバレエシューズを合わせることで、意外にも全体のバランスが取れると気づいたのである。
こういう話は、これまで何度もブログに書いてきた。
誰も読まないだろうという気配を察しつつ、別の話題に移ることにする。
放っておけば、自分はいつまでも服や靴のことを考えてしまう。
それがすでに習慣になっている。
しかし、その「考える」という行為の積み重ねこそが、自分にとってのスタイルを形作ってきたのだと思う。
他人の作ったルールに従えば、効率的に「おしゃれ」に見えると信じる人も多い。
だが、「おしゃれに見える」という時点で、すでに服が自分から浮いてしまっている。
「おしゃれですね」と言われることは、むしろ違和感である。
よく、「どうすればおしゃれに見えるか」という問いがネット上に溢れている。
それを見るたび、どこかずれているという印象を受ける。
服とは、本来もっと個人的で、感覚的なものであるはずだ。
「ここぞ」という場面で、自分の好きを思い切り表現する人がいる。
たとえば夏木マリや小泉今日子のような、芯の通った人々である。
その姿勢に惹かれる。
誰の目を気にするでもなく、かといって誰の目も無視しているわけでもない。
「人目」を自覚しながら自分の感覚で服を選び、着こなしている。
理想を言えば、普段はジーンズにTシャツ、セーターにスニーカー。
ごく自然に、服が肌になじんでいる状態が心地良い。
最近気に入っている無印の小ぶりなバレエシューズを合わせると、足元にだけささやかな変化が生まれる。
そのわずかな違和感が、空気感を変える。
そういうさりげなさが好き。
一方で、自分は最近そういった勝負服から離れている。
守りに入っている。
本来は、誰にどう思われようが、自分の好きな服を着ていたい。
たとえ「痛い」と言われたとしても。
子どもの入学式や卒業式といった場では、多くの保護者がネイビーのスーツを選ぶ。
その光景に、びっくりする。
ブラックのスーツは嫌いではない。むしろ好きな部類である。
だが、誰もが同じような紺や黒を着ているという事実に、どこか引っかかりを感じる。
この疑問を、子どもを持つ友人に投げかけてみた。
すると、「ブラックならどこでも通用するから便利なの!」と即座に反論が返ってきた。
子どもがいないため、その立場における空気感には疎いのだと思う。
いずれにしても、服とは本来、自分が「好き」と感じたものを、社会的な視線と混ぜ合わせながら、調整していくものだ。
「目立たないように、でも自分を消さずに」存在する。
そのためのバランス感覚が、着こなしには求められている。
「おしゃれになる方法」などというものは存在しない。
音声入力のオリジナルと指示はこちら。
①次のブログの文章を整えてください。できるだけ、文体を活かして同じ主張を統一し、あれこれ考えているうちにこんなこと考えたみたいな調子で。批判している部分は、俯瞰してる視点に置き換えてお願いします。
②~だ、~である、いう調子で、もっとオンナを感じさせない中性的な文体でお願いします
今日は、ブログをウインドウズ11の音声入力で書いた。
最近、バレーシューズのことが頭に張り付いて離れない。でも、バレーシューズって。素足で履くのが一番いいと思う。
ってことは。少なくとも、一年の。半分ぐらい。しか。バレーシューズが履けないってわけだ。
私は。巾、広足で。これまでも。かわいいバレーシューズを見るたびにかったり。履いてみたり。从。どうもバランスが悪くて。頭でっかちに見えて。どっちかっていう。
と敬遠してきた。今、60代だ。でも。無印のリボンバレーシューズの出会いをきっかけに。
その。かわいさ。あえて私のような、でかい女が。ちっちゃな、かわいい。く見える。バレーシューズを履くと。意外なバランスができることがわかった。でも、こういうのって何度も何度もブログに書いている。誰も読もうとしないから、別のことを書こうと思う。
私は放っておいたら。どこまでも。服のことや、靴のこと。ばっかり考える。のが習慣。習慣になっている人間だ。たぶん。そういう習慣が。積み重なって。少しずつ。
自分に似合う。なじみのある。スタイルが。染み込んでいくもんだと思う。オークの人がルール化して。そのルールに。従えば。手っ取り、早く。おしゃれに見えたり。
するって、勘違いしてると思う。おしゃれになる方法っていうのは、自分の中にしかない。何より、お洒落って。おしゃれに見える。って。
その時点で。服が自分から浮いているっていうことだ。よくおしゃれに見えるとか、おしゃれに見えるのはどうしたらいいですか?っていう。質問とか疑問がネット上に溢れているけど。そういうのに違和感を感じる。
おしゃれに見えてる時点で。私は。服の着方に失敗してる。と感じるのだ。おしゃれに着ることに。異議を唱えているわけじゃない。っていうか。ここぞ。っていう時に。夏木マリさんのように。小泉今日子のように。好きなものを思いっきり切るっていう人は大好きだ。
人の目を気にせず。でも。ある程度。人の目があっての。服のスタイルだ。っていうことを。本能的にわかっている人が。好きだ。
私自身の理想で言えば。普段は。オシャレって言わせないほどの。福野、なじみ方をする。着方が好き。ジーンズにTシャツ。セーター。コンバースのスニーカー。
そこに最近、発見した。無印の。足元がちっちゃく見える。バレーシューズを合わせる。そのバレーシューズ足元のバレーシューズだけで。思いのほか。空気が。空気感が違って見える。そういう方が好きだ。
そして、一方で。ここぞ。っていう時は。思い切って服を着たりしてみたい。最近、そういう着方からずいぶん離れている。守りに入っているわけだ。
誰かから後ろ指さされようが。痛い。って言われようが。好きなものを着るスピリット。持ってる人が好き。子供の卒業式や入学式、面接。といえば。ブラックかネイビーのスーツ一点張り。
っていう。風潮が。理解できない。ブラックのスーツ。もう嫌いじゃなくて。大好きだけど。みんな同じように。服のルールなんてないはずなのに。同じように、ネイビーやこんの。ネイビー、アクロの。スーツを着てるのはどうしてだろう。
そういうの子ども持ってる?人に疑問を。ぶつけてみたけれど。長年の友人に。なんでもゆってくれる。昨日、けない友人に。そうすると、即座に反発が帰ってきた。
ブラックのスーツにしとけば、どこへでも来ていいから便利な。そんな。そんな。ブラック以外の色を選んで。そんな面倒臭いことはできない。と反発された。
なるほど。確かに。私は子供がいないから。そういう。感覚って疎い。疎いのだと思う。
まあ、それは。ともかく。服っていうのは。基本、自分が。好き。って感じたものを。社会の視線と。まじり合わせながら。調節しながら。バランスをとりながら。でも自分を。目立たず、自分を。主張する。心地よくする。好き。と。
社会の目と。嫌い。な物。嫌いなスタイル。好きなスタイル。のバランス感覚が。服を着る。ということに。隠されているのだ。単に。おしゃれのルールとか。おしゃれになる方法とか。そういうのは無い。
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