60年代、70年代の喫茶黄金時代に、店を開いたオーナーは高齢になっている。この10年、20年で、あちこちの喫茶店が閉店した。
中には元の佇まいのまま営業していても、実は2代目や別の経営者になっていることも多い。
家の近所の喫茶店も、いつのまにか2代目の娘さんにバトンタッチした。初代の女性がやっていた2002年頃一度訪問した。
オーナーの女性は近所の人と談笑中で、えっ、入るの?みたいな、気まずい雰囲気に包まれた。
コーヒーを頼んだが可もなく不可もなく、というより、ひとくち飲んだとたん、作り置きとわかる味だった。
同じ頃、やはり近所にあった線路沿いの喫茶店、狭い階段を上った先に入口のある山小屋風の店だった。
スパゲティを頼んだが、茹でたスパゲティに缶詰のソースがかかってきたもの、が出てきた。
当時は、今のように昭和レトロブームは到来しておらず、喫茶店=昭和の遺物的なイメージを持つ人も少なくなかったし、
老舗喫茶店を巡って画像をSNSにアップする人も多くはなかった。
1990年代に流行ったコンクリート打ちっぱなしの無機質なカフェや、有名クリエーターがプロデュースしたカフェと違って、
個人事業主が開いた喫茶店は、計算されてない自然発生的な雰囲気や、思いつきで次々継ぎ足した装飾過剰なインテリアとか、店主の個性が滲み出た画一的でない面白さがあった。
ひとりになりたいからカフェや喫茶店に行く人がいる一方で、お店の人や客同士で、世間話をするためにカフェに行く人もいる。
地域性の違いも感じる。
例えばわたしは広島出身で、広島に帰ると、バスの停留所、食堂、駅の待合室、スーパー、あらゆるところで、その場にいる人々が世間話をしている。そんなとき、あぁ、広島にいるなぁ、と実感する。
天気がいいですね~、でも雨が降りそうですよ、どこから来なさった?
詐欺が横行している世の中だから、知らない人=警戒すべき人、という認識も増えたけれど、
ワタシの限られた経験でいうと、総じて西日本はオープンマインド、悪く言うとお節介なのだ。
人と人との距離は地域差もあるし、なにより人それぞれだろうし、カフェや喫茶店で、どうしてわざわざ他人とお喋りしなくちゃならない?と言われたら、それはその通りだけれど、
ワタシの行動半径での、不自然なまでの沈黙は治安面でも良くない、と思うけれど、
地域の暗黙の了解とルールに従うのが、その場所で快適に暮らすコツなのだ。でも西からやってきたワタシはちょっと淋しい。
東京と一括りにしているけれど、下町と山の手など、東京のなかでも地域差は存在してそうで、ワタシに合った水と空気を求めて街を巡る日々。
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