鳥のエサ系フードが好きだ。
最近常備しているのは、クエーカーのオートミール、2.26キロ×2袋入り大箱、3000円以下で買える。
水や牛乳を注いで加熱するだけで食べられるから、何かあったときに安心だ。なんなら加熱せずヨーグルト、ミルク、水でしばらくふやかして味わうこともできる。
オートミールじゃなくても、家の中に何かしらシリアルがあると、ほっとする。
でもいつ頃から、わたしはシリアルというものを知ってるのだろう。
コーンフレークとオートミール、昭和の時代から普通にあった。
グラノーラにミューズリー、健康志向と共にここ20年くらいで急速に認知度が高まった。
ブランフレークやブランスティックもある。
シリアル的に、すご〜く、カラフルな世の中になった。単純にうれしい。
わたしのシリアルデビューは、昭和40年代、小学生の時だ。実家の朝食は和食だった。ご飯と味噌汁に、その時々で卵、納豆、メザシ、シャケの切り身などついた。でも、コーンフレークも朝食に食べた。たぶん父親が朝からいない日曜だったのかも知れない。
金線で縁取りしたカレー皿のくぼみ部分に、ご飯の代わりにコーンフレークを入れ、ミルクをかけて食べた。シスコーンじゃなくてケロッグだった。箱に見覚えがある。
チョコ味のコーンフレークは、ミルクをかけると、チョコが溶け出して、コーンフレークを食べた後、お腹を空かせたネコみたく残ったチョコ味のミルクを飲み干した。
まだ、バナナの輪切りやフルーツを添えて食べるという習慣は一般的ではなく、コーンフレークにかけるものは、牛乳一択、大豆ミルクやプレーンヨーグルトのオプションもなかった。
グラノーラもミューズリーもなかったけれど、オートミールはあった。オートミールは、オーツ麦を脱穀し食べやすく加工したものだ。
そこに、ナッツやドライフルーツなどを加えたのがミューズリー。さらに油と甘味をつけ加熱処理したのがグラノーラだ。
当然、グラノーラがいちばん口当たりが良くてカロリーも高い。
昭和天皇は朝食にオートミールを召し上がっていた、と聞いたことがあるけれど、明治生まれのひいおばあちゃんもオートミールを食べていた。
朝食としてではなく、小腹が空いたとき、昼食と夕食の間にミルクパンのようなアルミの小鍋にオートミールと牛乳を煮詰めどろどろにして、砂糖で甘味をつけ白い浅皿によそっていた。
ひいおばあちゃんが食べている記憶はない。覚えているのは、土間になった台所のコンロでオートミールを火にかけている姿だ。
中学生のとき、学業についていけず、このままでは高校受験もおぼつかないわたしを心配して、お母さんは、自分の学生時代にお世話になった先生に家庭教師をお願いし、中学3年の夏休みのあいだ、わたしを実家に送り込んだ。
中学3年の夏休みの間、当時60絡みだった男の先生は、昼下がりに毎日やってきた。わたしは、2階にある書院造のお座敷で、天然木の切り株で出来た座卓の前に座り先生を迎えた。
数学の問題集を順番に問いていく形式だった。今も昔も全く集中力のないわたしは、毎日、問題集を前に、考えるふりをしながら全く別のことを考えていた。
そうやって、夏休みの午後の数時間、縁側に面した日当たりのよいお座敷で、不毛な見かけだけの勉強の日々は続いた。
先生が帰ったあとも、おばあちゃんたちの視線を気にして、わたしは、天然木の座卓のまえに、とりあえずは座った。
白昼夢を貪っているわたしに、ある日、ひいおばあちゃんが、2階に上がる階段途中に設けられた小窓から顔を出してオートミールを食べるけれど、あんたも食べるか?と聞いた。
それが、わたしのオートミールデビューで、どろっとして生温かい、想像を超えた甘味のついたミルク粥だった。
後日、ひいおばあちゃんが、おばあちゃんとお母さんに「あの子はオートミールが好きらしい」と報告しているのを聞いた。
実を言うと、わたしは、あの時、カレースプーン1口2口で完全に手が止まってしまった。どうしてもオートミールを飲み込むことができなくて、途方に暮れた末、2階の汲み取り式便所に捨てた。
あれから40年以上たった。今では、アルミの小鍋ならぬマグカップに、オートミールとミルクを入れ、コンロで煮る代わりにレンジで加熱し、砂糖、蜂蜜、ジャムなど入れて食べる。とってもおいしく感じる。不思議だ。