そのひとは、物心ついた時からいた。1960年代のある日、
「味噌汁になに入れる?」
と、たずねられ、
「細くなった大根のぶん」
と、3、4歳のわたしは答える。
「大根の味噌汁?」
と応じた20代前半の女性。
今もって、陽子(仮名)姉ちゃんと呼ぶ叔母のことであり、記憶に残る最も古い叔母とわたしの会話だ。
母さんは長女、20歳で結婚し23歳の時わたしを生んだ。そのため、当時未婚だった妹たち、2人の叔母は「姉ちゃん」のままになった。次女の「陽子姉ちゃん」は、現在、家族と山あいの風光明媚な町に暮らしている。
先日その陽子姉ちゃんが画像を送ってくれた。
我が家の庭から10mくらい離れた隣家の畑に垣根の様に植えてあるどう見ても私には動物のサイに見えたのでカシャ!撮ってみました。さいきん枝が伸びて🦣の様になってきてます。近くに行ってみると3本の植木にしか見えません❗️
とある。
26歳のとき実家を出て、都会暮らしのほうが長くなるにつれ「姉ちゃん」2人とは、いつしか疎遠になった。
およそ10年前、50歳を前にして2人と再会を果たす。以来帰省するたびに、ふたりの「姉ちゃん」に連絡を取った。会わずにはいられなかった。
毎回、食事をし、お茶をし、時には旅をし、喋り、笑い転げながら時を過ごした。間違いなくわたしの人生で最良の部分だ。一緒に話してると、生きてるなぁ…と感じる。「陽子姉ちゃん」は、そんなひとである。