もしも、明日着たい服が、LEEベルボトムだったら、

2021年8月12日木曜日

ジーンズ スタイル フレアジーンズ

 


お散歩コースであるショッピングセンター内のカフェが、従業員の新型コロナウィルス感染確認のため一時休業、という告知を見つけいよいよ身近に迫ってきた、と思っていたら、

所定の消毒作業を終えて8月13日から営業を再開、とHP上に出ていた。少しホッとした。

気になって調べたら、感染者が出たため休業、というのは日常的に利用するスーパーやショッピングセンター内の店でもすでにいくつかあって、わたしがこれまで知らなかった、だけだった。

変異株蔓延、未だ出口の見えないトンネルの中、異常気象、終わりのない世界中の紛争…。ちっぽけな視野の狭ーい頭で数え上げてもこんなにも不安の種が。

元の世界がすごく遠く感じられるこの頃、今となっては「元の世界」ってどういうの?、という疑問さえ浮かぶけど、

ショッピングセンターに行くと、少なくとも昨日までは人の流れを感じることができた。断片的な会話の切れ端が聞こえてきた。

今後は、わたしの地域で人々の生活の一部となっている商業施設が、どう規制されるのか今はわからない。

コロナ前わたしの世界には、何かしらの悩みや不安を抱えているにしても、少なくとも、カフェや食堂の隅っこで、人の喧騒に紛れながら、スコーンとホイップクリーム増量、本日のコーヒー、ラーメンと餃子、ビッグマックセット、生来の大食い、を努めて何も考えず、黙々と食べる時間が、あった。

何事かあっても、ちょっと誰かとお茶、とか、誰かとお食事でも、とある友達の定番決まり文句は、お食事でも?、だった、なんて優雅な誘い文句なのだろう、気のおけない誰かと飲み会、とか、

「ひとと一緒」というのが、こんなにも日々の活力になっていた、という、すごく真っ当で当たり前の生活が、とても懐かしい。

それで、例えばわたしのような人間の場合、今時不安になると何を着たくなるのか考えた。

元々わたしは着る服のことが頭から離れない人間だ。あるときは、強迫症的に思考の裏側を独占した。

結婚式に招かれたらどうしよう、ジーンズを履いていけないところで何を着よう、太ってジーンズが履けなくなったらどうしよう、と。

不幸中の幸いというべきか、今時、人の集まる催しは最小限に限られているから、普段着以外は必要なくなってしまった。

そんなわけで、究極の普段着、第二の皮膚というべき、ある意味、裸より自分らしい服について、思いを馳せた。

というのは、棺おけに裸で入るひとはいないからだ。来年?さ来年?、再会するひとたちが目にするであろう、誰が見ても、やっぱりわたしだ、という服装を大事にしようと思った。

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