オフホワイトのコートLサイズと、異素材ブラックのW使いトレンチコートMサイズを羽織って見た。170センチ60キロ肩幅の広いがっしり型のアラカンオンナには、ちょうどよいバランスだった。
オーソドックスな形、強烈な花柄プリント地、背中はぱっくり割れ、肩から垂れた共布の帯のようなリボンとスパンコールの当て布で露出部分を調整できる。
肩の線を出すためと思われる固めの小さめの肩パッド、細部に強烈なブランドのパワーが宿っている。
とてもドラマチックで非日常感に溢れてるけれど、下に着る服でいかようにも演出できそうだった。
わたしの中のアバンギャルドな服への欲望が目覚めた。
思えばこの頃のわたしは、ジーンズとシャツ、セーター、寒くなるとトレンチコート、ウールコートと重ねていく日々であった。
面倒だから同じような服を着てるのではない。60年生きてきた中で、地道に気に入った服だけ着ていたら自然にこうなった。
80年代、20代のわたしは、気になる服が、それほど高くなく買えそうな値段であれば、とりあえず着た。
例えば、トリコ・コムデギャルソンのナイロンシャツワンピース、ノーマカマリのスエットのウルトラミニスカートとブルゾン、ピンキー&ダイアンのミニフレアスカートとウエストシェイプされたジャケットなど。スタイルの一貫性を考えるような気持ちのゆとりはなかった。
体型に合わなくても、似合いそうもなくても、一目惚れした服は、とりあえず着て歩き道行く人の反応を伺った。
でも90年代に突入し、30代後半あたりから、地に足がついてない服を着ると居心地が悪くなった。
次第に、当時流行ったシマロンなどのストレッチブラックジーンズと白のコットンシャツ、偶然ロンドンで買ったバーバリーのステンカラーコート、愛用してたブラックメンズチェスターフィールドコートなど、誰もが着るようなどこでも手に入るアイテムを、繰り返し着て自分だけの服にしていく過程が好きになった。
40代、50代、時の経過と共に、似合う服もどんどん狭まっていき、とうとう服で冒険することは皆無になる。
TOGA ARCHIVES × H&Mは、かつて好奇心のまま着た自分を掘り起こすものだった。まず、デザイナーの古田泰子さんは、どんなひとなんだろう、と好奇心が湧いた。
プロフィールを見ると
1971年生まれで岐阜県出身、エスモード東京校とパリ校で学び、1997年ブランドを立ち上げる。2006年よりパリコレに参加し、2014年からロンドンコレクションに移る。
とある。
H&Mとのコラボレーションは、プレゼンをするところから始まったそうだ。詳細はWWDのインタビューにある。
興味深い内容で、読んだ後、わたしは、TOGA ARCHIVES × H&Mの服を見る目が変わった。やはりブランドコンセプトは、本当にこの服を必要としてるかどうか考える上で、非常に役立つ。
古田:オファーをもらったときは驚きました。私たちは「H&M」の歴代のコラボレーションデザイナーより規模がずっと小さくて、インディペンデントだから。だから「まずは私たちがH&Mの企業背景を学び、実践したいことをプレゼンさせてください」と提案しました。それを受け入れてもらえるならやりたいと。
WWD:内容は?
古田:「露出のコントロールをするコレクション」です。これまで作ってきたワードローブ、たとえばベーシックなビジネススーツに切り込みを入れて肌を露出して違うものに見せることに特化したいと伝えました。返事はすべてOKでした。
古田泰子さんの過去のインタビューを読むと、ヴィヴィアン・ウエストウッド、川久保 玲、などの女性デザイナーが好きで、強い個性を持った服に惹かれたこと、
ジェンダーレスな服についての解釈、女らしく着たい、といった感情を抑え込まず、露出を自分で決める、他人に決めさせない、もっと自由に服を着ることなど、詳しく述べられていて、その通り!と共感したのだった。
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参考:TOGA ホームページ