H&Mは、ウィメンズウェアから、90年代後半をインスピレーションにした、2023年最新「A/W2023コレクション」約60種類を発表します。本コレクションでは、フリルやリボンが創り出すロマンティックさと、デニムやフェイクレザーのパワフルさが組み合わさり、バロック時代とネオ・ノワール映画の世界観が融合したようなスタイルが特徴です。
目立ってなんぼ、注目を集めたい、こんなに短いスカート履いているワタシを見て、といった衝動を抑えられなかった10代後半から20代のころと違って、
周囲の風景、自分のキャラクターと社会に馴染む格好をすることがカッコいい、と思いはじめたのが、30代だ。90年代は、社会に映る自分の服装を自覚した頃だった。
1981年、川久保玲がデザイナーを務めるコム デ ギャルソンとの共同開催で、パリで初めてコレクションを公開したとき、冷ややかな批評家が「ヒロシマ・シック」と揶揄した。同じファッションを、フランスのプレス界は「レ・ジャポネ」と呼んだ。つまり、パリに進出してきた日本の新興勢力として、高田賢三や三宅一生もふくめてひとまとめにしたのだ。川久保玲は1983年、「日本人デザイナーのうちの1人、という扱いを受けてあまりいい気はしません」と『ウィメンズ・ウェア・デイリー』誌に語っている。「日本人だから全員同じなんて、そんなこと、あるわけないじゃないですか」。山本にいたっては、そのときまで、自らを日本人だと意識したことすらなかったという。「アメリカに爆撃されて焼け野原になったところで生まれたんだから、そんなの関係なかった」と山本。「僕は東京っ子です」
当時、ヨーロッパのファッション界は性的魅力の追求に血道をあげており、山本や川久保のデザインはそれに対する挑戦だった。不定形の黒い服。布の端は切りっぱなし。ヒールのないフラットな靴。そういうアヴァンギャルドがやってきた。山本は、川の水で洗いざらして天日干しにした布を使っていた。「完成品になったときのテクスチャーがおもしろくて」そうしていた。「作り手の心が素材にこもるような感じで」。着る者の体型をはっきり見せるのではなく、逆にわからなくするカッティングも独特だった。女性の体にタイトにフィットした服は、着る本人ではなく男性の目を楽しませるためのもの、というのが彼の考えだった。「伝統的なボディ・コンシャスのラインはやりませんでした。そんなの、大嫌いだったから。で、彼女たちに男ものを着せてみようって思いついたんです」
この2着のComme des Garçonsグループのコートは、見た目の迫力からは想像もつかないくらい着心地が良い。
YOHJI YAMAMOTOは目に触れる機会は多くあれど着たことはなかった。でも、2007年ごろ、渋谷のラグタグで古着「YOHJI YAMAMOTO +NOIR」のウールジャケットを買った。このジャケットを着用したのは、母さんの一周忌と父さんの葬式だけだ。その数少ないYOHJI YAMAMOTO +NOIR着用経験から、気が付いたことがある。
本当のYOHJI YAMAMOTOの方向性はもっと別のところにある、ということだった。
今こうやって、たった1着もっているYOHJI YAMAMOTO +NOIRのジャケットを着てみる。
YOHJI YAMAMOTOの服は、性を強調するのではなく、カラダを包み込み、布を自在に駆使し、タック、ギャザー、プリーツ、フリルなどを通してカラダの曲線を暗示する。
例えば、イタリアのブランド、ドルチェ&ガッバーナは、バスト、ヒップの曲線を強調することで、人間のカラダを賛美する。
古着ジャケットを着たり、インターネットでYOHJI YAMAMOTOのコレクションを見るようになった2000年代後半以降、わたしはそれに気が付いた。
このブログを書くために見たYOHJI YAMAMOTOコレクション動画で、すごーく好きだ!って感じた動画のリンクを載せてみた。