iPhone6SからiPhone12に替えて、一番違いを感じたのはカメラの性能だ。レンズひとつからレンズ2つへ。
光の足りないところでもハッキリ映るしブレることがほとんどなくなった。特に接写が多い食べ物はびっくりするほど色鮮やかに映る。背景ぼかしもできる。
#すごいなぁ〜!かつてレッツノートPCを旅に持ち歩いたことがあった。13年前のことだ。
今はスマホひとつで、地図、メール、電話、インターネット、ラジオ、映画、ドラマ、音楽、ニュース、読書、メモ、全て持ち歩ける。
でもついていけない。
ページを繰る本の感触、外出中にチャットが飛び込んでこないこと、電車で前に座るひとをつくづく観察すること、フィルムをカメラに装填すること、おいしい料理を撮らずに食べること、道に迷い人に聞くこと。
こういうこと全てが懐かしい……と言いたいけれど本当のところはどうだったのかというと、
1989年、上京した年、1人暮らし1年目を思い出してみる。
固定電話、手紙、葉書、たまにもらうことはあってもほぼ書かなかった。
テレビ、夜つけっぱなしだったけれどほぼBGMと化していた。ラジオは聞かなかった。
連日のレンタルビデオ店通い。ただし借りただけでほぼ見なかった。延滞料金がかさんだ。
少しのCD、ほぼ音楽は聞かなかった。
オリンパスミュー、小型フィルムカメラ、かつてカメラは旅行のとき使うものだった。
積どくファッション雑誌、ふわふわした夢を紡ぐためのツール、
新聞を取る余裕はなかった。
仕事帰りの孤食、マクドナルド、中華屋、コンビニのローテーション、
1989年は、昭和の終わりで平成のはじまりだった。
接客業、仕事はやりがいがあり楽しかった。外食をして家に帰り、テレビつけっぱなしで固定電話で毎晩長電話した。
深夜2時、3時に眠りにつき、睡眠不足のまま朝起きてシャワーを浴び電車に乗り、職場近くのミスドで朝食。ランチも当然外食。
仕事、外食、長電話。休日は別にして、この3つのこと以外はしなかった。スマホも携帯もネットもない昭和の終わり、わたしは孤独に押し潰されていた。
そして現代。もうめんどくさい手紙も書かなくていいし、メールもなんならすっ飛ばしてチャットで即座にやりとりできる。
映画館に行くより、レンタルビデオ屋に行くより、今は配信サービスがある。選ぶ以前に大量のおすすめ映画、ドラマ、動画リストが提示されクリックひとつで確認し気に入らなければじゃんじゃん次に進む。
観察なんてしなくとも、メモ帳取りださなくても、シャッターひとつで記録できる。新聞も読まないニュースに無関心だったわたしでさえ、自動的に流れるニュースを読める、聞ける、見られる!
安くて品質の良い服もクリックひとつでやってくる。全てはクリックひとつ。圧倒的な効率化。
残念だけれどわたしはもう20代じゃない。適応できない。
でも昭和にも適応してなかった。
一体全体あんたはこの先何に時間を使いたいの?とiPhone12は改めて考えさせるきっかけとなった。
気に入った服をじっくり着て馴染ませること。
好きなモノを観察すること、なんなら手にいれること。
本を読むこと。
書くこと。
食べること。
人とおしゃべりすること。
これに尽きるのだ!