ジャズバーに行った。今日は同居人が留守で、ひとりぼっちが寂しかったからだ。アルコールはあまり飲めない。でも、カウンター越しにおしゃべりできる店を求めて、例えば、ぽつん、ぽつんと開店しては数年で消える個人経営のコーヒーショップに行こう、とぼんやり考えていた。
ぶらついていると、ジャズバーの看板が目に入った。洒落たオレンジ色の看板に惹かれ、ああ、そういえば村上春樹さんも昔ジャズバーを経営していたんだった、と思い出した。なんか自然な会話がありそう、と期待した。
足取りも軽くドアを開けると、ブルージーンズとブルーのトップスを着たスリムなショートヘアの女性が現れ、窓際の4人掛けソファ席をすすめられた。
くるりんと視線を回すとカウンター席に中年男性2人、奥のテーブル席に若い男性2人組がいた。4人掛けテーブル席が4つとカウンター席、一斉にわたしに視線が注がれる。
プラスチックカバーのメニューを見る。ビール、カクテル、サワーが550円から、裏側は食事メニュー、フライドポテトも550円だった。
今時、一杯ずつ淹れるコーヒーも500円以上は普通である、少し嬉しくなった。
ベルガモット、ハーフ&ハーフ……?これにしよう……
「ベルガモット、ハーフ&ハーフってどんなのですか?」
聞いたとたん女性は姿を消して、かわりに50がらみの男性がやってきた。
「はい?」とわたしの顔を眺めている。
「ベルガモット、ハーフ&ハーフってどんなのですか?」と繰り返す。
「……と……が半分……の〜〜」と説明してくれるのだけど聞き取れなかった。
あきらめたわたしは「カンパリソーダお願いします」。
タバコの香り、常連らしい世間話と笑い声。
天井近くのスクリーンで若き日のローリングストーンズの屋外公演のビデオが流れている。ミック・ジャガーがスカイブルーのブルゾンとウルトラスリムのホワイトパンツ姿で、あの独特の動きでステージ上をクネクネ歩きシャウトしている。
ミック・ジャガーに集中しながらカンパリソーダを飲み干し、薬臭い感じが苦手だったのに飲みやすく爽やかな味だった、1000円札を握り締め、会計をすまし店を後にした。
コーヒーショップに行ったとしても結果は同じだ。一人でコーヒーを飲む時間がわたしを待っている。
「ご注文お決まりですか?」
「コーヒー、ええと本日のコーヒーを」
「かしこまりました」
例え個人経営のカフェだとしても、特に初めて行く場合、まず間違いなくただコーヒーを飲み、30分か、運が良ければ、1時間ほど、黙りこくって座るひとときが得られる。
「ご馳走様でした」
「ありがとうございました」
期待できる会話は以上だ。
ここは東京。西日本出身のわたしは、わざわざバーや個人経営のコーヒーショップに行くのは、そこにはなにがしかの会話がある、という思い込みがある。
東京と言っても広い。少なくともわたしのいる地区では、見知らぬ隣りに座っている客、あるいは、カウンターの中にいるスタッフや店主と無駄話ができる保証はない。
家でほぼ同じものを飲もうと思えば飲めるコーヒーやお酒を求めてわざわざカフェやバーに行くのは、そこにひとがいるからだ。
見知らぬ人に話しかけると大抵冷ややかな反応が返ってくる。その閉じた空間で、間の取り方、距離の取り方を間違えると、沈黙の制裁が加わる。
そんな瞬間、わたしは、かつて嫌いだった、喧嘩っ早い家族、人間関係にまつわるトラブル、嫉妬、感情的な行き違い、を懐かしく思い出してしまう。
見知らぬ人同士が、ダラダラ無駄話をし、当然のように年と職業を聞かれ、時に行き違いがあり、喧嘩、争いに巻き込まれる故郷の街が懐かしいのだ。
といいつつ、30年以上前のことである。今はどうなのかな?そんな感傷。