⚫︎広島八丁堀 福屋百貨店 1970年代に浸る

2023年6月8日木曜日

昭和 平成

故郷広島のイメージは、ずっと家を出た1980年代後半のままだった。

昨年3年ぶりに、かつて週末ごとに遊んだ広島市中心街の面影をたどり故郷の更新をした。


話はそれるが、30年以上東京にいるのに、築地がどんな場所か知らないし、もんじゃ焼きで有名な月島にも行ったことがない。

銀座中央通りと並木通りの区別も、最近までつかなかった。数寄屋橋の交差点で、昨年あたり、ふと数寄屋橋はどこだろう?って気になった。探し回ったけれどなかった。

今の数寄屋橋はかつての存在を示す石碑が残っているだけだ、とwikiに書いてあった。

銀座も東京のほとんどの地区は、観光地のままだ。ランチやショッピングで訪れてもどこにも大した思い出がない。接点がなかった。居場所がない。

その一方で、時々行きたくなる場所がある。新宿や高円寺などだ。かつての職場や住んでいた所だ。現在のわたしを育ててくれた地である。

2020年3月以降、広島は、帰る場所ではなく行く場所になった。2011年に母さんが、2020年に父さんが立ち去った。

でも、全く居場所がなくなったわけではない。広島に帰ってきた、と思える場所、そのひとつが、広島に本店がある福屋百貨店八丁掘本店だ。

電車通り沿いに、福屋、天満屋、三越と三つのデパートが並んでいたが、現在、天満屋は、複合商業施設になっている。

福屋は、1929年昭和4年、広島で初めての百貨店として開店した。1945年昭和20年、8月の投下によって元の本館は壊されたが、

1938年昭和13年に新館として建てられた現在の福屋八丁堀本館は生き残り、復旧工事と幾たびの改修を経て現在の形になる。

福屋本店8階には、映画館八丁座がある。wikipediaの情報を簡単に言うと、

元々この場所には、松竹系の映画館があった。1975年東館がオープンし、8階に松竹系の映画館と名画座が入り2008年まで続いた。


電車通り。左手の建物が福屋デパート。
福屋本館と東館の間。かつてこのあたりに靴の修理のおじさんやおばさんがいた。いつもここで靴の踵を付け替えてもらった。とても安かった。


正面玄関から入ったところ。1980年代くらいまでは、画像右手に受付があり、そこに母さんの妹、叔母さんが受付のアルバイトをしていたことがあった。

この場所で、母さんと弟と一緒に数えきれないほど待ち合わせをした。その多くは、母さんの2人の妹とその子供たち、おばあちゃんだ。

去年、この福屋デパートの正面玄関を入ったとたん、おばあちゃんの姿が浮かび上がった。おばあちゃんが笑うと、辺り一面がぱっと明るくなった。とても笑顔の美しいひとだった。

従妹のMちゃんは、おばあちゃんの話が出るたびに、おばあちゃんは美貌じゃった、と言う。その言葉の影には、Mちゃんのおばあちゃんに対する微妙な感情がある。

母方一族の歴史は、決して順風満帆な年月ではなかった。どこの家庭にもあるようなトラブルや争いには事欠かなかった。

でも、そういうあまり愉快とは言えない記憶と同じくらい、多くの幸せな瞬間があった。特に、母さんと弟と一緒に福屋のデパートで、おばさん達やいとこ、時にはおばあちゃんと待ち合わせするときは、最高に幸せな時間だった。

参考:八丁座 Wikipedia

福屋八丁堀本店

広島ホームテレビ ひろしまリード









 

このブログを検索

QooQ