●1日1ページ手帳と歳をとること、記録はわたしを楽にしたか。

2023年7月7日金曜日

雑記 手帳


今年も後半戦に入った。手帳のことを妄想しはじめる時期だ。わたしは、1日1ページタイプを2015年あたり?から2021年まで続けたことがある。

元々は毎年手帳を買っても、最低限の予定程度しか書けなかったのに、2010年くらいから、手帳に色々なことを記録しはじめた。

思えば、手帳に日々の詳細な記録を残せるようになったのは、暇になったことと、年齢が関係している。

2009年までは、販売員や出版社のバイトやらでまぁまぁ忙しく、手帳に何かを書こうという気になれなかった。

ところがどこにも属さない身になってから、日々どう過ごしたか、ということがとても気になるようになった。

今日は、あれをしてこれをして、どこへ行った、ということを詳細に付けるようになった。このままではまずい、という焦りが日々の記録に繋がった。

若い頃は、毎年初めに手帳ライフを妄想し、年末に白紙だらけの手帳を捨てるということを繰り返していたというのに......

手帳ライフが充実するようになったもう1つの原因は、忘れる恐怖だ。年々、昨日今日あったことをすぐに思い出せなくなり、その不安から何でもかんでも記録するようになった。

例えば、1日1ページ手帳にこんなことを記録していた。

食べたもの、便通、飲んだ薬、体重、体脂肪、ストレッチの種類、見た映画、ドラマ、どこへ行った、あそこに行った、買ったものと値段などだ。

当初は、食べたものだけだった。食べたもの記録だけは、1日1ページ手帳を始める前からやっていた。元々アレルギー体質で、食べたものを記録しようと思いついたのが最初だった。

朝、昼、晩の食事、睡眠時間、便通、飲んだ薬、の記録だった。ノートや手帳に書いた時期が長かったけれど、エクセルに記録したこともある。

そこから数えると20年くらい、食べたもの日記からはじめて、日々の行動など詳細に書くようになった。

そのたまりにたまったノートや手帳、エクセルの食べ物記録を、2022年に衝動的に捨てた。

捨てることに全く迷いがなかった訳ではなく、何度も何度もページを繰り、食べたものとアレルギーの関係を検証した後、捨てた。

結局、食べたものとアレルギーの関係が見いだせなかった。アレルギーを含む体調というものは、食べたものだけで左右されるものではないし、

日々の運動量、出来事、嫌なこと、嬉しかったこと、人間関係、イベントなどなど、あらゆることに左右されるものだと思う。

あれを食べたから湿疹が出た、これをしなかったから体調がすぐれないとか、1つ2つの要素だけで決められない、ということを長年の記録で学んだ。

そこに気が付いたとき、1日1ページ手帳を含む記録をやめようと思ったのだ。

でも快楽としての記録はどうだろう、と疑問が湧いた。

極端から極端に走るバランスを欠いた性格なので、記録すると決めたら、何もかも書いておきたくなり、結局、自分の書いたものに縛られるようになったのが、一日1ページをやめるきっかけになった。

そういう過程を経て、2022年からわたしは記録しない人間になろうとしている。

全てを記録しない訳ではない。現在は、高橋の見開き月間ブロック「T’ファミリー手帳1」に、予定、体重、体脂肪、行ったところ、買ったものと金額を書いている。

ブログだって形を変えた日々の記録だ。結局のところ、わたしは書いて頭を整理するタイプの人間なのだ。



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