日記をつけると、ゴチャゴチャした頭ん中がスッキリするというけれど、ワタシの場合、記録を丹念につければつけるほど、思考が迷宮入りしてしまう。
全ては、食べたもの記録からはじまった。アレルギーがあり、食べ物を変えたら良くなるかも、と食事日記をはじめたのが、20年以上前のこと。
20年続けてわかったことは、食べたもの記録をこのままつづけても、何を食べたからアレルギーが出た、あるいは、皮膚が痒くなった、という現象に規則性がないということだ。
過去の手帳を繰って、この時期は調子良かったから、果たして何を食べているのだろう?と調べても、特段バランスが良い食事続きだったとか、野菜ばっか食べていたとか、そんなことはなく、いつもと変りなく食事していることがほとんどだった。
カルボナーラ食べて湿疹がでたとか、とか、そういうケースもあるにはあったが、タマゴ、牛乳、チーズをいくら食べても、平気なことも多かった。
食べ物、寝不足、ストレスなどなど、アレルギーの原因を探そうとすればするほど、迷宮入りし、日々の記録を取る意味を失った。
ただ、記録を取り続けてわかったのは、ワタシは記録好きだった、ということであった。記録をつけてあまり得したことはないが、
ワタシが、〇年〇月〇日に、いくらのモノをどこで買ったか、
何をどこで食べていくら払ったのか、どこに何をしにどうやって移動したか、とか、連続した痕跡をたどるのは、とにかく楽しい!
個人の行動記録のビッグデータは、企業のマーケティングに使われるけれど、たった一人分の足跡だって、文章に説得力を持たせるためには必須だ。
数少ない当ブログ読者のために、少しでも正確なデータと、なるべく正直な個人の心模様を差し出したい、と思うのだ。
わざわざ書きとめておかなくても、今どき検索であらゆることが調べられる時代だけど、自分だけの固有のデータと心情までは検索してもでてこない。ワタシは記録大好き人間だ。