アンチおしゃれのたわごと。

2025年5月18日日曜日

スタイル

t f B! P L

 さっぱりインデックスされなくなったから、逆手にとって、日々の呟きを、できるだけ自然に、嘘偽り、虚飾なしで書こうと決心する。

ワタシのブログは、10年らい進歩を見せてない。

テーマは、日々の着るモノが一番多く、当初はトレンチコートを着るとき、どんな組み合わせをしたらしっくりくるか、第2の皮膚に感じるほどに馴染ませるか、などを、ブログを通して考え続けた。

毎日のように着るジーンズは、ユニクロ、リーバイス、リー、GAP、これまで着た主なジーンズのブランドである。

フレアまたはストレート、から、テーパード、スリム、スキニー、と体型の変化と好みに応じて変化するのは面白い。

バーバリーやアクアスキュータムのトレンチコートにしても、リーバイス、ユニクロ、GAPなどのジーンズにしても、おしゃれと言わせないスタイルが好きだ。これは一貫して考えている自分なりの服に対する姿勢だ。

おしゃれになる、おしゃれに着る、とはどういう意味なんだろう?

おしゃれ、という言葉が、色々な媒体や日常で上った瞬間テンションが下がる。

特別な席での装いで、おしゃれに見える、美しく見える、かわいくみえる、ことを目指すのは理解できる。

そういう席では、自分のためというより、招いてくれた人とその場の雰囲気を盛り上げるため、または、少なくとも壊さない、もしくは、意図的に場にそぐわないアンチファッション的な普段着、ジェーン・バーキンのように、とか、想像力を駆使して、服、靴、バッグ、を揃えるのが楽しいしプレッシャーにもなる。

でも、日常でおしゃれに見える必要があるだろうか?

おしゃれ以前に、服を自分に馴染ませる、時には自分を演出するツールにする、

おしゃれ、という曖昧な言葉を目指すくらいなら、服を着た自分はどう感じるか、周りはどんな反応をするか、自分自身はどう思うか?を考え続けるほうが好きだ。

たかが服だ、でも、服を着るということが、どれほど周囲の視線を変えるか、見方を変える可能性を秘めているか、を思うと、ワタシは服を着ることに執着する。自分の姿に失望してしまう日々でも、それでも、ワタシは、今日も自分の服を考える。



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