先週、図書館で借りてた萩尾望都のコミックセットをしぶしぶ返却した。もっと読んでいたかった。
全10冊超えのセットなのに借りられる期間はたったの2週間、順番待ちの人が多くいるから延長できない。
昨年読んだ「ポーの一族」」に続いて、トーマの心臓、11人いる、アメリカン・パイ、この娘売ります!キャベツ畑の遺産相続、と読み進めた。
1970年代、日本人の西洋文化、ファッション、スタイルへの憧れがいかに強烈だったかを思い知らされた。
萩尾望都の「別冊少女コミック」の連載がクラスで回し読みするほどの人気だったころ、ワタシは高校生だった。
ポーの一族、トーマの心臓、竹宮恵子の「風と木の詩 」にどハマりしていた同級生がいて、夢遊病のようにつぶやく、マリベル(メリーベル)、エドガー、アラン、を通して、ほぼ間接的に、「ポーの一族」と「トーマの心臓」を知っていた。
今で言うオタク気質で、目が隠れるほどの厚い前髪と色白な清潔なルックス、ユニークな言動で不思議な魅力のある少女だった。
コミックを読む習慣のなかったわたしは、そのユーモラスな言動に惹かれつつ、一体この子は、何に夢中になっているのだろう?といぶかっていた。
当時からほぼ50年、やっと、マリベル(メリーベル)ーその子はいつもマリベルと言っていたーは、永遠の少年エドガーの妹、アランはエドガーの学友、あるときから不老不死一族の仲間入りをした、と了解したのであった。
「ポーの一族」や「トーマの心臓」には、日本人はひとりもでてこない。一貫して西欧が舞台だ。
きらめく線使いで描かれる、繊細で儚い少年や少女、哀しい宿命を背負った一族のドラマチックな展開、今読んでも色あせない。
感情の機微、揺れ、迷い、悩み、人間のサガが、当時、遠い遠い世界だった西欧の上流階級の生活スタイルが、独特の言葉使いに包まれてストーリーが展開する。
夢の世界であると同時に超現実なのだ。
1976年当時その子がのめりこんでいた世界観に60代のワタシも入り込んだ。
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