aiと「検索」の限界、ネット以前の人間の息遣いを昭和のパーラー喫茶に感じる。

2025年6月22日日曜日

雑記 昭和 平成

t f B! P L

 

先週から今週にかけて、国立国会図書館に通った。1980年代のパーラー「羅甸」について調べるためだ。

「羅甸」のドリアやパフェが大好きだったが、インターネット普及以前なので、今となっては、「羅甸」という喫茶店、パーラー、レストランが、呼び方は店舗によって変化する、一体どんな店だったのかネットには情報がほとんどない。

ワタシはインターネットとaiの限界を知ってしまった。

時代が古くなればなるほど、それほど重大ではない、と判断された情報は得にくいのだ。

ましてや、ネット以前の時代だ。日記は日記帳に書いていた。

しかし、国立国会図書館のサーチ機能を使うと、あのパーラー「羅甸」の足取りが、あちこちに見つかった。

わたしは、息を詰めて「羅甸」の情報を貪るように読み、味わった。

aiやインターネットの情報はこれまでの人間史のほんの一部だけ。デジタル以前の人々が生きてきた痕跡はでてこない。


「さんたつ by 散歩の達人」に投稿!

パーラー『羅甸』の足跡をたどる。



このブログを検索

QooQ