●「おれは価値観が固定した人間が苦手なんだ」を深堀り ドラマ「何曜日に生まれたの」第2話

2023年8月20日日曜日

ドラマ 映画 雑記

 朝日放送テレビのドラマ「何曜日に生まれたの」第2話を見た。

参考:ABCテレビ番組サイト「何曜日に生まれたの」

大人気ラノベ作家である公文竜炎(溝端淳平)と同居中のカメラマン来栖芽衣(早見あかり)の会話がずっと引っかかっている。

来栖芽衣(早見あかり)が、純文学がずらりと並ぶ本棚を見て、


「ってか、公文ちゃんってさ、こういう古典とかしか読まないのに、なんで純文学とか書かないでラノベなの?」と問う。

それに対して公文竜平(溝端淳平)が返す長セリフがこれ。

「若い人が読まないモノを書いて何が楽しい。おれは価値観が固定した人間が苦手なんだ。価値観が固定すればメンタルは安定する。だけど、それって他を受け入れずらくするってことにならないか。そうなると良くて感傷にしかならないのさ。何を読んでも見てもね。」

 「またムズイこと言ってる?」

と来栖芽衣(早見あかり)。

「感傷は記憶に残りずらい。だから俺はまだ価値観が固定してない世代に向き合いたいんだ。物語を衝撃とともに長く記憶して欲しい。良くもワルくもね。たぶんおれはそういう承認欲求の物書きなんだと思う。」

と続ける。

ドラマを見ながら書き取った文章だから少々の違いはあるかもしれない。でも概ねこういうことを言っていた。

野島伸司脚本のドラマと言えば「高校教師」「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」「101回目のプロポーズ」などあり、個人的には、思春期の男女と社会のタブーを描いたドラマが記憶に残っている。

また、脚本監修を担当した2015年の山下智久主演ドラマ「アルジャーノンに花束を」時のインタビュー記事を見ると、野島伸司さんの基本的な考え方を反映したセリフだとわかる。とても興味深い。


かつて「テレビドラマは文化や流行の中心だった」と語る野島さんは、「若い人の心に刻むと、ずっと覚えていてくれるので、本当はそこに向けて作りたいという思いはずっとあって、その身もだえるような葛藤(かっとう)が現場にはある」と告白。さらに「年配の方でも価値観を固定しないで、素直に世界観を受け入れる方はたくさんいる」と前置きし、「やっぱり若ければ若いほど、自分を固定していない、完成していない、いろいろなものに刺激を受けやすい。そこに向けて作るのが、物作りの基本的な考え」と持論を語った。そして「今作も先入観や固定観念で避ける人もいるのだろうけど、自分を固定しないで、少しだけ扉を開いて見てほしいですね」と訴えた。

参照:MANTANWEB 野島伸司:希代の脚本家が語る「いいドラマ」とは? 理想と数字のはざまで10年苦悩


今回の脚本を担当した「何曜日に生まれたの」のインタビューでは、こんなこともおっしゃっている。


━━近年は、ドラマだけでなく、漫画やアニメの原案や脚本を担当されていますが、今回のドラマに影響していることはありますか?

野島:そうですね。僕も二次元のほうにいってみて、自分の感覚はそっちのほうがフィットする気がして。今回のドラマも陣内さんが漫画家だったり、溝端君がラノベ作家だったりと、その辺は僕がちょっと二次元を引きずりながら、実写の脚本を書いたという感覚です。二次元の中二病感は今回、結構色濃く描かれているので、普段、実写ドラマを観ないアニメファンや漫画ファンが観てもシンクロ率は高いと思うので、ドラマを毛嫌いしないで覗いてほしいなと思います。

参照:U-NEXT ドラマ『何曜日に生まれたの』脚本家・野島伸司インタビュー「誰を視点に据えて見るかで全然違う物語に」

インタビューにもあるように、価値観の固定した人間=年配者、とは必ずしも言えないが、年取ると自分のことや世の中の仕組みが良くも悪くもわかってくる、もしくは、わかった気になる。

自分のことで言うと、極私的な善悪リストが年々長くなってくる。例えば、嫌悪感を中心にモノゴトを選ぶ傾向が顕著になってきた。

どういうことかと言うと、わたしが嫌悪感を覚えるモノゴトには決まりきったパターンがある。

トレンドを盛り込んだだけの安易な服。売れ筋の要素を入れ手頃な価格で売ることから逃れられない以上、どうしようもないけれど、実際に売れてる服の多くは、時代の空気感を上手に取り入れた手頃な価格帯だ。

でも、マタニティー服と兼用できるパフスリーブやフレアデザインを駆使したボリュームのあるワンピースは食傷気味で、似合っている人は多くない。

ただ、そういう自分はどうなんだ?と言われると、ただうつ向いてしまうしかない。

メンズスキニージーンズとフレアジーンズに執着し、ブルー、ホワイトのコットンシャツ、ブラック、ネイビー、コンバースオールスターに囲まれ、悦に入っているワタシって、野島伸司の言うところの価値観の固定した人である。

あとは、嫌悪感とは違うけれど、国民的なアニメやゲームに入り込めないもどかしさがある。

わたしにとってアニメといえば「オバケのQ太郎」「ひみつのアッコちゃん」「魔法使いサリー」「リボンの騎士」。小学生まで見ていたアニメは、今でもパッと思い浮かぶくらい夢中になった。

でも中学生以降は、アニメ自体を見なくなった。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「魔女の宅急便」と、「攻殻機動隊」「新世紀エヴァンゲリオン」映画シリーズのそれぞれ1つは見て、緻密な絵、構成、ストーリーに、なるほどと思ったけれど次を観ようとは思わなかった。実写のドラマや映画の方が好きだ。

と、こんな風に、年々共感を覚えないモノゴトが増える。アニメ、ゲーム、自分が着たくない、好きになれないスタイルが代表的なものだ。

そこから、ゲーム=時間の無駄、嫌いな服=センスの欠如、と言った固定観念が生まれる。

いつのことだったか、山下達郎さんが自身のラジオ番組で、新しい曲を聞かず昔好きだった曲ばかり聞いているが、これでいいんでしょうか、みたいな視聴者からの質問に答えていらした。

達郎さんは、僕は仕事なので新しいものも古いものも聞くが、仕事じゃなく好きで聞いているのだったら、自分の好きな曲だけ聞いて、無理に新しいものを聞く必要はない。

ただ、昔は良かった、と言わなきゃいいんだ、と、正確じゃないけれど大体こんなことをおっしゃられていた。

参考:Tokyofm 山下達郎サンデーソングブック

わたしが思うに、山下達郎さんの、昔は良かった、と言わなきゃいいんだ、という言葉が、この、野島伸司さんが書いたセリフ「価値観の固定した人間が苦手なんだ」が引っかかったときの対処方法なんじゃ?と思い当たった、上手く言えないけれど。

もっとも、このセリフは、ドラマのラノベ作家のスタンスを言葉にしただけ、批判じゃない、書き手の野島伸司のスタンスなのだ。









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